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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

説明される感覚は偽物

つれづれ

 瞬間的な喜怒哀楽はその場において真に正直な感覚だな、と思った。何かが起こった瞬間に感じる喜怒哀楽はその前後や左右や上下の掛値なしのものであり、あとから思うこととずれていることがしばしばある。「頭いいね」と言われた瞬間の「喜」は、あとから思いを巡らせて「馬鹿にされてたのでは」などという終着を得たりする。考えをまとめるあたりには当初の正直な感覚は濁った状態になっていることが多いかもしれない。つまりその出来事を発話したり文字にしたりする段階では「正直な感覚」ではなくなっている。「〇〇で△△だったし、◇◇だったので嬉しい」みたいに説明臭くなる。私がここで書いているブログも然り。正直村の正直者を自負している私ですら真でないことを綴ってしまっている。

 

喜怒哀楽に付け加えるものは何かあるかと考えてみて、「痛」もあるなと思ったが、「痛」はあとになって強度が薄れても「痛」であることを失わなそうなので喜怒哀楽の仲間に入れることは却下しよう。それから今日思いついたのは「恥」。恥は刹那的ともいえるくらいの感覚だと思う。そしてそれはあとから考えて自己弁護的な色々で脚色されたりして恥ではない何ものかに変化したりするので喜怒哀楽仲間に入れても良いのではないかと思った。

 

今日、道を歩いていた際、前方から自転車に乗って接近してくる老婦人に「右に避けて!」と怒鳴られた。私は瞬時に「右!?私の?あなたの?」と迷いつつ、バスガイドの「私の右手をごらんください」を考えていた。そして老婦人の指示を解釈出来ずに戸惑った。その横をすれすれに老婦人が通り過ぎていき、私は恥ずかしい気持ちになった。確かにあの時は恥ずかしかった。理解出来ない自分を恥じたはずだ。が、今となっては、「その指示なんだよ、偉そうに!自転車ならあなたが避けなさいよ。左右なんて主観の問題なんだから同方向向いてなきゃ意味ないっつーの。…ってか、交通ルールとして歩行者右で車両左ならぶつかるにきまってんじゃないの。じゃ、ルールが悪いんじゃないの。なんでそうなってんのよ、ルールまったく!」と概ね怒りだったのだけれど、矛先も言い分も全然違ってきた。

 

というか、今日の出来事のうちの「バスガイド」の部分だけを伝えたくてこの記事を書きました。白い手袋。