ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

育児の成功 成功の育児

母は嬉しそうに「私の子育ては成功した」と言っていた。根拠を尋ねると、娘3人が非行に走らず勉強も出来てそれぞれを短大と大学を卒業させてやることが出来たから、と。

 

私は母を必死で求めながら「母のようにはならない」と同時に思い続けていたので、その母が成功と言うのはとてもヘンテコに聞こえたし、私は実際に精神的に病を得ていたので、「お母さんは子育てを成功したと思ってるんや…」と思いながらも「成功したって言ってもらえて良かった」とも思った。母の承認を嬉しく受け取った部分が私にあったことは否定できない。

 

親が良いと判断することを実行・達成することが子供の喜びになってしまいがち。親の価値観は子供を束縛する。私の価値観も私の子供たちを束縛しているだろう。本当に私が願っていることは「子供本人の幸せ」なのだけれど、日々、親と子と言う立場で生活していると子供をある程度は支配してしまうことは止む無し。そもそも「幸せ」などという個人差も大きく不確かなものを願っているあたり傲慢でさえある。

 

そして「子育ての成功」などというものは世の中にあるのかを考えてみた。「子育ての失敗」をまず考えてみると、夕方のニュースで読まれるような非行・犯罪をする人間に育ててしまった場合が思い浮かぶ。失敗の例は具体的に想起できる。では成功はどうか。全然分からない。

 

偏差値の高い大学を出た、難易度の高い資格を取った、高い年収を得ている、社会的地位が高いなど、「親が自慢できる我が子像」はポンポンと頭に浮かぶけれど、「子育ての成功」とは繋がっていないような。割といろいろ考えたのだけれど、やっぱりよく分からない。

 

そして極端になってしまうのだけれど、「子育ては親のエゴ」という考えに至った。子供をもつか否かも選べる現在では「もつ」と決めて産むことからエゴかもしれないし、「自分がされて嫌なことはしない」とか「自分が欲しいものをプレゼントする」みたいなエゴ。ちなみに私が今欲しいものは皮付きの生のタケノコなのだけれど、それを誰かにプレゼントしたところで喜んでくれる人は多くないと思う。

 

もし「完璧な育児」があるとして、その「完璧な育児」をしたとして、「完璧な精神・肉体・能力を兼ね備えた人間」を育て上げられたとして、その完璧野郎は幸せなのかを疑問に思う。周りは完璧でない人間だらけの世の中で自分だけ完璧なんて。それに不満を言えども誰からも理解されない完璧野郎。言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン。

 

あの葡萄は酸っぱいに違いないみたいな感じになってしまったけれど、育児の成功は(きっとほとんど)無いから私は私のエゴでそれっぽい育児をしていくしかないし、エゴでいいよもう、とか考える。

 

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