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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

つれづれ

最近読者登録させていただいたブログに「子供を愛せない」とあった。その方は幼少期からの色々(簡単に言ってしまって申し訳ない)があり、今でも子育てをしながら思い悩むことがあるらしい。私も子供時代のことを引き摺っている大人であり母なので、色々考えながら読ませていただいている。子供を愛せないことを負い目のように感じているような表現もあった。

 

数年前、友人と飲みながら話していたときのことを思い出した。友人には2人の子があり、「片方をとても愛らしく感じて可愛がられるのに、もうひとりのことは全然可愛く思えないし可愛がられない」と言っていた。そんなことを言いながら「でもどちらかを死なせなければならないとしたら、可愛がっている方を死なせる」と言った。その思考が理解出来ずに友人に何故かを問うと「可愛い方はもう愛しているから。もうひとりは足りないから」と答えた。

なんだか難しいな、と思いながら友人は2人ともをこよなく愛しているじゃないの、と思った。行動や想いや形が違っても。

 

冒頭に書いたブログの人にもちょっと似たような感想をもった。実際に会って話したわけではないので私には文字の並び以外に何も知ることはないのだけれども。

 

子供を愛するって何だろう。情やら愛やら言葉でも色々あるし、各々が抱く感情も色々だろうけれど、私は子供を「愛して」いるのかな、と。つい最近までは「子供を愛している」と堂々と言えるくらいに自分の愛を認識していたはずなのに、いざ考えてしまうとグラグラと不明確になってきてしまった。子供は日々成長という過程にあり確かな「こういう人間」というものではない。それを愛するというのは包容力とかそういう話になってくるような…。私は子供を愛しているのだろうか。愛ってなんだ?

 

ごちゃごちゃと考えたのちに行きついたのは、「責任感」。子供に対して私が抱いている感情の大きな部分は責任感だった、と。愛とは言い切ることはできないな、と。