ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

ブログを書くこと 自省(でも公開)

ブログを書くことについての理念みたいなものを最近いくつか読ませていただいた。理念というほど重たくはないのかもしれないので、「こんなことを考えながら書いているんだ」みたいなものかな。

 

私は何故書いているのだろう、とふと考えてみた。このブログを始めた理由は以前も書いたけれど、バレのない範囲で赤裸々に書きたいと思ったから。じゃあなぜ公開するのか、それは誰かに聞いてもらいたいからだ。インターネットというものが普及してから20年近く、私はどこかで書き続けていた。初めはメールで友人数人に長いテキストを送っていた。それが迷惑行為に感じ始めた頃にミクシィに移行して…。いや、そのテキストを送りつける前は手紙を書いていた。親しい幼馴染に数枚に及ぶ手紙を、海外にいるときも送り続けていた。私は日本語を本当の意味で自由に書けるようになってからずっと書いていたようだ。

 

私は人付き合いが苦手で、人の迷惑になるかもしれないという恐れがあるのでズイっと出られる性分ではない。それが逆に迷惑になっていることもあるだろうけれど、出過ぎて迷惑になるよりも出ないで迷惑になるほうがマシかなと思っているので。と言うか、出過ぎて迷惑になってしまった時の視線が恐いから、が正確かもしれない。このブログでもなるべく長文にならないようにとか考えていることが多い。自分のブログくらい自由にすればいいのにとも思うけれど、最後まで読んでもらいたい意識があるので端折ってしまう(はしょる=端折る、今初めて知った)。だらだらと長くなると嫌われるかも、という恐れ。

 

普段の生活でもそうだ。私は他者の会話に割り込むことが出来ない。自分の思うところがあっても割り込めない。それが迷惑になるかもしれないと思うので。本当に面白くない人間だ、私は。それは分かっていても、私だって言いたいことはあるし、考えていることもある。それを書いているのだ、と今(本当に今)気づいた。

 

私は書いたらすぐにアップする。推敲はほぼしない。自分自身の頭の中で内容がまとまらない時には推敲がてら読み直してからアップすることはあるけれど、書いたらアップする。「下書き」には思いついたことをメモすることはあるかな。私は「夜に書いたラブレターは翌朝読み返すべき」の考え方が嫌いだ。夜にそう思ったなら思いのたけを送っちゃっていいじゃない、と思う。時間をおいて書き直したラブレターなんて本心じゃないでしょ、と。熱すぎて恥ずかしいなら「夜に書いたよ」の一言を添えればいいじゃないの。それで伝わらない相手なら初めから好きにならないでしょ、と。

 

 読んでくれている人に分かるように、は一応気にしているけれど、どれだけ伝わっているのかは私には分からないし、分かろうとしてくれているかどうかの受け手の状態にもよることなので、投げっぱなしになるしかない。そもそも投げ返してこられても困るような気持ちで書いているので投げっぱなしはやむを得ない。受け手のことを考えると何も書けなくなるので、それはそれで困るので投げっぱなしスタイルで書き続ける。それでもやっぱり一応受け手のことは考えているけれど、それは嫌な気持ちになる人が少ないといいなレベルだ。

 

 「ごめんなさい、明日から数日記事をアップ出来ません」とか言える人を心底羨ましく思う。自分が期待されている存在だと自己認識できているということに。私にとってブログは出口であって吸引口ではない。価値あるものの配布ではなく、落とし物を拾ってもらってありがとう、みたいな。うまく言えないけれど、そういうことかな。まあそもそも期待されるような内容を書ける中身も文才もないのだけれども。

 

落とし物、そうだそんな感じ。拾ってもらえたら有り難いし、見過ごされても仕方ない。落とし物のラブレター。異様に綺麗な感じにまとまったのでそういうことで良しにしますか。あ、これは夜に書きましたよ。