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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

不断の愛

自分の育児に自信なんてない。2才差の3人を育てていて、私は専業主婦だけれど夫は割と仕事が忙しく、3人ともに両親からの満足な愛情を注げているのか、子供たちからの見逃してはいけないサインを見逃してはいないか、などと考えれば自信があるとは到底言えない。

まあ、そうは言っても完璧には出来ないものだし、私は私の、夫は夫の、それぞれの「これでいいと思う」の判断以上のものは出来ないので、仕方がないと言えばないのかなとか諦めたり、いや諦めちゃダメだろとか考えたり。

 

気を悪くされる方も多くいると思うけれど、私は「母が働く」ことにとてもネガティブな感情を持っていた。私の母がフルタイムで働き、私は祖母宅で過ごしていた時期があり、母は「仕事はもうすぐ辞める」と嘘を言い続け、私はその日を心待ちにし続け、母は辞めることはなく、私はとても淋しかった、という子供時代だったので、自分の淋しかった気持ちを思い出しては「母は家にいる」ほうが良いと思っていしまっていた。

しかしながら、このブログでグチグチと過去の不満を書き殴り、他の方々の育児ブログを拝読し、自分の狭量を知った。「母が働く」ことが問題なのではない、私の過去の不満は働く働かないの問題ではないのに、きっかけが「母が働く」ことに見えるために思い違いをしていた、と気づいた。

 

私の過去の不満は愛して欲しい人からの不断の愛を得られなかったこと、なのだと思う。これも思い違いかもしれないけれどもそういうことで以下を書く。

 

愛してくれる人は身近にいる人なら母でも父でも祖母でも祖父でも良いのだろうけれど、年老いた祖父母の場合は「いつか遠くない将来にいなくなる」という心配が伴うので、そういう意味では両親がやはり良いのかもしれない(元気で全然死にそうにない祖父母なら大丈夫だろうけれど)。不断の愛なんてものはないのかもしれないけれど、子供の立場からそう信じられる愛が必要なのだと思う。一時的に面倒をまめまめしく見てくれる人や労わりの言葉を丁寧に掛けてくれる人がサポート的に子供サイドについてくれることは、ないよりある方が良いのは言うまでもないけれど、絶対的で不断の愛はそんじょそこらの人が代わりを務めることはできないものだと思う。代替者がいて良かったねと親が考えるのは間違いだと思う。親の代わりなんて誰もできないと思いながら、親からの不断の愛を子供に満タンまで注ぎ続けることが理想なのだと思っている。

自分がそれをきちんとできているとはとても言えないけれども。

 

子供たちが将来子供をもつなら、私と夫の育て方からまた色々考えてより良い子育てをするといいなあと思う。


(追記)などとごちゃごちゃと、愛こそすべて的に書いたりしましたが、普段は適当に楽しく夫と子供と生きています。