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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

サンタクロースの夢 親も、親こそが

つれづれ

親もクリスマスはウキウキする。それは子供たちがウキウキソワソワしているのでそれがうつってしまっているのかもしれないし、そういう子供たちの様子ににウキウキしているのかもしれない。

 

今年、長子は小5なのだけれど、私は最近まで子供たちに「サンタクロースという嘘」をつき続けていることに少しの罪悪感を感じていた。子供たちが友達から聞いてきたのか、「本当はお母さんがプレゼント置いているんじゃないん?」の問いかけに「違うよ、サンタさんやろ?」と返すこと、「サンタさんは本当にいるん?」の問いかけに「いるやろ?毎年プレゼントもらうやん」と返すことに、チクリチクリと感じるものがあった。

 Christmas presents under the tree

photo credit: Alan Cleaver

チクリと感じながら考えてみた。「サンタクロースは本当にいない」のかを。

 

そして「私がサンタクロースだったんだ」という真実に思い至った。子供のキラキラした目を喜びたい、子供たちの欲しがるものを渡したい、サンタクロースの深夜の訪問にドキドキしながら待っている子供たちの翌朝パアっと喜ぶ顔が見たい、「良い子にしているとプレゼントがもらえる」と信じる純真をもった子供たちと過ごしたい。サンタクロースは私だ。

 

サンタクロース = 雪の山に住み、トナカイのそりで空を飛んで世界中の子供にプレゼントを配る

これは、シンボル。例えば星は☆の形で表すけれど、実際の星は☆の形をしていないように、サンタクロースとは、そのようなストーリー『クリスマスに、子供が寝ている間にプレゼントをそっと置く』に従っていれば誰でもなれるものだ。

 

私が子供たちのサンタクロース。世界中の子供たちにではなく、私の小さな世界の私の子供たちにプレゼントを渡す。夢見る子供たちには内緒の任務。素敵だ。

 

長子は去年のクリスマスに「僕はもう10才だから今年でプレゼントをもらうのは終わりにします」とサンタさんに手紙を書いていた(サンタクロースの正体)。辞退しながらも、長子はまだサンタクロースの「存在」を信じている。今年は「サンタさん、お疲れさまです。世界中の子供たちのために頑張ってくれてありがとうございます」の手紙を書いていた。

 

そんな長子はまだ「夢見る子供」だ。長子に対してサンタクロースを辞めるわけにはいかない。今年もサンタクロースからのプレゼントを用意した(サンタさんの代わりにお父さんとお母さんからプレゼントをひとつあげると約束していたので、プレゼントを計ふたつ用意することになった。次子と末子にはその補填があとで必要になる…)。

 

「サンタクロースは存在しなくて、親がプレゼントを置いていた」のではない。「親が本物のうちの1人のサンタクロースだった」のだ。

 

子供たちが「トナカイのそりで空を飛んでやってきていたのではない」と知った時には、「サンタさんでいさせてくれてありがとう」と伝えたいと思う。泣いてしまうかもしれない。

 

サンタクロース同志たちよ、首尾は上々かい?