ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

ユニセフ(日本ユニセフ協会)の講演を聞いて思ったこと

ユニセフ」と「黒柳徹子氏」と「日本ユニセフ協会」についてはネット上に色々書かれているのですが、そのことには触れません。どちらも「子供のため」に活動している個人・団体だと認識しています。

 

慈善のことに関してド素人です、私は。ただ感じたことを吐露してしまおうか、と書いています。

 

私の経緯として、若い時、数年間ユニセフ日本ユニセフ協会)に寄付をしていた時期がありました。今はしていません。その他募金活動には数百円程度なら見かけた際にしていました。怪しいところにはしていません。義援金(震災など)は多額の(私たち夫婦にとって)寄付をしてきました。

(語句の正誤も分かっていないので間違いご容赦)

 

義援金としては多額を送られるのに、その他の寄付は少額になってしまっていました(ユニセフは打ち切り)。義援金は「そのお金があれば元の生活に戻られる」に対して、他国の生活の基盤を作るための寄付は漠然と「どれくらい必要か分からない」の感覚の違いによって、差が出てしまっていたのだと思います。

 

今日ユニセフの講演者が「数十円で人の命は救えます。救うだけの薬と栄養が買えます。しかしながら、命を救っただけで終わってはいけません。救った命が今後作る家族、多分日本より多いです、その家族の分も請け負う必要があるのです。救った命の分を担ってください」とか言っていたので、私がこれまで抱いていた「どこまで?どれだけ?」の感覚が明確になったと思いました。

 

私の寄付出来る金額は微々たるものだけれど、今死のうとしている命を救えてしまいます。救えてしまった命がこの先どうなるか、「知らない」では済まされないのです。死ぬのは仕方ないこと、誰でも死ぬ、遅かれ早かれ。それを先延ばしにしたい気持ちはきっと多くの人がもつでしょう、特に年少者に対しては。

 

私も目の前で子供が死にかけていたら全身全霊蘇生を試みると思います。死なせたくない、見てしまったなら尚更生かしたいと思うと思います。しかしながら、それは保健所の犬の延命嘆願と同じでは、と思ってしまいました。犬と人間の命を同じに語ってしまいます、気になる方ごめんなさい。救ってしまったからには先のことも責任を持たねばならないと思うのです。保健所の犬と同じく、延命したのち飼い手がなければ引き取る責任みたいな。子供の命を救ったのならその後の命の責任、みたいな。

 

救う命を天寿を全うするまで責任を持たなければ、とでも言うべきか。他国の瀕死の子供を救うためなら数百円程度支払えないわけはない、でもそれで終わりじゃない。いつまで?救った命が作り出した命は?そのあとの命は?

 

ノーベル平和賞を受賞した女性はとても勇敢で素晴らしいと思います。でも、「銃よりペンを、兵士より教育者を送ってください」と言っていました。ペンを送ったあとは?教育者を送ったあとは?女性が教育を受けられるようになったあとは?

 

生命のために、健康のために、その大きな目的のために文化・生き方に踏み込んでしまったあとは?どこまで責任をもてばいいの?私1人の人生期間で間に合うの?私の子供にも受け継ぐべきなの?

 

あんまり重く考えるべきではないのかもしれません。今私が寄付するお金で助かる命があり、次誰かが寄付するお金でその子供が成長して、また次の誰かが寄付するお金で社会が安定し…。なるほど「1人で助ける」わけではないから「慈善団体」が必要なのかもしれません。納得がいったような気持ちに少しなれたので終わりにします。