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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

相続した家と荷物

思い出

ブログを読ませていただいている方が「家の相続」関係について書かれていたのでそのことについて書いてみようか、と。

 

私の父親は鹿児島出身だが、両親が亡くなった際に遺産を放棄した。大した遺産なんて無かったし、兄弟姉妹が多く皆方々に住んでいたので、鹿児島に残っている2人の姉弟に遺産も不動産も託した。それを聞いたときには大して何も思わなかったけれど、年老いた親の世話を任せていた上に価値のさほど無い、そして処理に困るものを託すなんて、鹿児島に残った姉弟はとんだ貧乏くじを引かされた状態だったんだなと今思う。

 

私の母親は2人姉妹の姉で、祖母は母を頼りにしていた。父は悪質な九州男児で家庭で妻に相談をするということが無かった。独断で辺境地に一戸建てを買い、その後その家が狭いともう一つ家を近所に買った。母はついて行くしかなかった。そして一軒目の家は祖母が父から買い取った。祖母からすると、物凄く不便な田舎でも母と近所に住まうことで先の世話を頼もうとしていたのだと思う。

 

祖母の思惑とは違って物事は進み、祖母が逆に世話をする羽目になった。母が働き始めたら私の面倒を見てくれた。母はもともと家事がまともに出来ない質だが、働き始めてからは更に家事がまともでなくなり汚宅が完成した。祖母はそれを見かねてたまに来て掃除をしてくれ、料理をしてくれた。

 

祖母は父に遠慮して同居を求めなかった。祖父が亡くなってからも一人暮らしを続けた。母が祖母の世話をすることがないままに祖母は事故で亡くなった。祖母の家の冷蔵庫は次の食事その次の食事の支度を待っている状態で、洗濯物は取り入れられるのを待っていた。シクラメンは瑞々しく咲いていた。

 

母は祖母の突然の死を悲しんでいた。返していなかった、祖母が料理を持ってきてくれた時の皿を見て泣いていた。泣いている母に向かって父は「酒の燗まだか」と怒鳴っていた。父が嫌なヤツなのは分かっていたけれど、この時改めて更なる嫌悪感を抱いた。

 

そして祖母の家が残った。その残った家を父が他人に貸した。もちろん相談も無く。父は借り手に「家の中にあるものは全部捨ててもいい」と言った。借り手はすぐに全部を処分した。父からの事後報告に母が慌てて遺品を取りに祖母宅に向かったが、何もかもが捨てられていた。写真一枚残されていなかった。

 

こんな形の遺品の処分。父、最低。

 

 

数日前に書いたけれど、私は押入れ漁りが大好きで、祖母宅で世話になった時も頻繁に押入れを漁った。その時に見つけた心震えるものを持ち帰るのも習慣だった(もちろん祖母の承諾のもと)。ぜんまいの時計、古い写真、少し錆びた缶に詰められたガラクタ…。私の数年前の押入れ漁りの戦利品で母親を亡くした母を少し慰めることが出来た。