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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

趣味勉強

つれづれ

資格取得が目標でも無く、仕事の必要性(第一就労していない)も無く、ただ余暇を勉強に費やしてみることにした。まあ、もしかしたら数年後に働き始める時に利点になるかもしれないとの打算も無きにしも非ずだけれど、今のところは趣味として。

 

私は学生をしていたころは「中間試験」「期末試験」「小テスト」の類いは9割5分以上の点数(訂正!数学は7割程度だ…)を取っていた。範囲が決まっていれば意欲も湧くので勉強が楽しい。しかしながら大学の入試とか、各種資格試験は範囲が広いので勉強する気持ちが萎えて「はい、実力で!」と前準備無しで挑むばかり。それでも「中間試験」「期末試験」「小テスト」を押さえてきたのでそこそこな点数は取れたし、ある程度の資格も取れた。

Clean Study Bag

photo credit : The Master Shake Signal

その「そこそこ」とか「ある程度」が今更ながら嫌になって来た。22才で大学を卒業してから15年が経ったけれど、「途中で止まっていた」感覚を今になって思い出した。もっと能動的に吸収したい、と思い直した。

 

若い時には目先の目標が「目標」だったけれど、今は違う。目標が無いから範囲が無い状態。だから何のため?と考えたら「自分のため、自分が勉強したいから」。親が「勉強は自分のため」と言っていたけれど、37才にしてようやくその境地。

 

副産物的に良いこともある。私が勉強していたら子供たちも「お母さんと一緒に宿題するー」と母子でひと時無言の集中タイムをもてること。ま、私としては子供が不在の時の方が集中出来るのだけれど、身近に「好きで勉強している人」が居るのは少しばかり勉強面で子供たちに良い影響を与えられるかもしれないな、と。

 

毎日少しずつ知りたかったことを知る生活を楽しんでいる。しかしながら、もう今は大掃除の時期だ。ハウスキーパーとして勉強ばかりをしていられない状況。そして考える。勉強だけをして生活していて良かった時期に勉強していれば良かった、と。勉強に特化した生活の何たる贅沢なことよ、と。

 

その私の今思う価値観も子供に徐々に伝えられたらなあ、と思う。でもきっとこういうことは自分で「ああ、失敗だった」と経験しないと分からないものなのかもしれないな、とも。