ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

願うままに叶えばいいのに

子供が欲しくても出来ない時期があった。不妊専門外来に通っていた。各種検査をしたけれど原因は不明で、フーナーテスト(性交後の膣内の精子の状態を見る)では生存精子がゼロだったので「男性と女性の体質的な相性の問題」だと言われた。

じゃあどうすれば…と悲嘆したが「人工授精なら濃縮して元気な精子を膣内に入れるので妊娠確率は上がる」と言われたので人工授精をした。それでも妊娠せず、再び人工授精を試みようとした時にタイミングが合わず1ヵ月見送ることにした。その時に自然妊娠した。「諦めたら出来た」の状況。ストレスなどが不妊に繋がるとはよく聞くけれど、どうやら私たちもそうだったらしい。しかしながら不妊の人に「諦めたら出来るよ」なんて言えないし思えない。私たちがたまたまそうだっただけだから。

 

妊娠出来ない時には精神的にしんどかった。流産した芸能人の話題を聞いても「妊娠出来たんだから自分たちよりマシ」とか考えてしまうほど嫌な気持ちを抱えていた。

 

自分が第一子を流産しかけた時、初めて流産の悲しみを感じた。お腹にいる命を失う恐怖は妊娠出来ない不安よりも辛かった。「妊娠出来たからマシ」なんてあり得ない。恐くて悲しくて辛かった。

 

それでも私は結局3人の子供をもっている。辛い気持ちを少し味わったけれど結局報われた。私の知らない、想像できない悲しみはまだまだある。

 

今日、夫の親族から連絡があり、新年の挨拶の訪問の日をずらすように言われた。毎年元日に夫の親族一同が夫の祖母宅に集まるのだが、夫の親族の1人が子供が出来ないと悩んでいるらしい。私たちの子供を見ると辛いから私たち一家は元日を避けて夫の祖母宅に行くようにと言われた。

 

なんで私たちの方が…と思ったけれど、子供を見たくない気持ちも理解出来るし、会いたくない気持ちも理解出来る。そして、そのような気持ちをもってしまうことやそれをこちらに伝えるに至ってしまった辛さも想像出来る。優しい気持ちになりたい。

 

それでもやっぱり元日の挨拶で皆と顔を合わせられないのは寂しいなと思ってしまうのはこちらの狭量だ、と思えるほどには心は広くない…。私たちが「優しい気持ち」をもちたいと思うことすら迷惑なのだろうなと想像したりもする。子供を欲する気持ちは分かるので、子供が欲しい人たちの気持ちが全部報われればいいのにと心の底から願う。

 

私たちが何をどう考えても思っても、私たちは「結局子持ち」なので「子供が欲しい」人たちには受け入れられない存在なのかもしれない。受け入れられない気持ちも分かる、でもやっぱりちょっと寂しかったのよ。