ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

自殺を思いとどまらせるのは誰か

叔父と従姉と同級生の「自殺」が私の身近な自殺。

叔父は当時50歳前後、従姉も当時50歳前後、同級生は当時16才だったと思う。

 

叔父には妻と子(高校生と中学生)が居たし、従姉は従姉の(未婚の母になった)妹の子供を妹と一緒に育てていた。同級生は良く知らないが両親と妹がいた。

 

ブログを読ませていただいているpeetang (id:osenpe)さんが最近自殺について書かれていたので触発されて今日書いてみようかと思いました。

 

「〇〇(さん)がいたから自殺を思いとどまった」とか「△△のために自殺は出来ないと思った」とか。恩人や親や子供やそのあたりの(その人にとって)影響力のある人によって思いとどまったとか。そういうものをよく聞く気がする。

 

私は、結局自殺を決行するのも思いとどまるのも自分でしょうと考える。他の人(肉親でも他人でも)がそれをどうこうできるものではないでしょう、と。その人が「〇〇がいたから」とか「△△のために」とか思うのって、〇〇とか△△とかを大切に思っている「自分のため」でしょう、と。

 

自殺をしない人はしない。それだけ。悪魔の証明みたいになってしまうけれども、する人はするししない人はしない。しない人は何があってもしない。自殺したくなってもしない。する人は誰が何を言ってもする。「アナタが死んだら私も死ぬ」とか言われて思いとどまれるようなら初めからその人が大切なので死ぬことが出来ないのだ。

 

大切な人がいるから死なないのではなくて、大切な人がいるせいで「自分のために」死ねない。「だから大切な人を作ることが重要」とか言いたいのではない。大切な人なんて作ろうと思って作られるものではないから。すべて偶然みたいなものだから。

 

自ら死んでしまう人なんて誰がどんなに悲しもうとも死んでしまうものなのだから、その人のために「あの時ああしていたら」なんて考えるだけ無駄。その人にとって「私」なんていうちっぽけな存在が抑止力にならなかっただけなのだから。

 

死にたいならどうしようもない、と思いながら私が大切に思っている人には「私がいるよ」アピールをし続ける。私のために死なないで欲しい。「私が悲しいのが嫌」だから私の大切な人には死なないで欲しい。私も自分勝手な一個人だ。

 

今日は夫と子供たちと遠くの公園に行った。遊園地が併設された混雑しない公園。人混みが苦手な夫と私はディズニーランドには「一念発起」しないと行けないので今回は遠くの公園。私が住んでいるところよりも北に位置するので紅葉が綺麗だった。

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「大切な人」がいるのは良い。私が死にたくない、そして、私が悲しみたくないので「私がいるよ」とアピールし続けられる。

 

さっきお風呂で自分の髪を洗うとき、乾草のような匂いがした。私の大切な人たちと過ごした時間についた匂いだ。