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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

ちゃんといる

昨日書いた記事をたくさんの方が読んでくださった様子。多くの方に共感していただいてとても嬉しいです。ありがとうございます。

 

そこで、やはり幼児を育てている方にとっては「失われていく可愛い時期」への思い入れや感傷が大きいのかな、と。私もそうだ。子供が小さかった時の珍行動を思い出し、笑いながら淋しくなったりする。あの子はもういない…と思ってしまったり。

 

私の子供たちが幼児や赤子だった時に、小学高学年以上のよそ様の子供を見ては「もう可愛いことしたり言ったりしないのだろうな」とか失礼なことを考えてしまってい た。声変わりした少年を見ては「ウチの子もそのうちああなっちゃうんだろうな」とか。成長とともに可愛いと思うことが減っていくように感じていた。

 Winding Path

 可愛かった赤子時代、可愛かった幼児時代はそれはもうキラキラした宝物のように私の心のとっておきのところで輝いているが、成長した我が子たちも現在進行形でキラキラと愛らしい。

成長していくにつれ言葉で「お母さんが僕の(私の)お母さんで良かった」と言ってくれたり(これは私が「〇〇がお母さんの子供で良かった」と言っているので私からの受け売りなのだけれど)、冗談を言って爆笑し合ったり、「好きな子」の話をしてくれたり。

 

好きな子の話をしてくれる時に絶対冷かさない。「誰かを好きになるのはその人の特別に素敵なところを自分が見つけられたから。好きになってもらえるのは自分の良いところを見つけてもらえたから」と子供たちに言っている。すると子供たちは多少照れながらも好きな子の素敵なところを話して聞かせてくれる。

 

幼少の頃のように「何をしていても可愛い」ではなくなったけれど、過去の断片と比べると「違う」のだけれど、我が子はずっと続いている。どんな時だって可愛いし愛おしい(まあ、時々は腹が立つ)。

親子の密度は下がっても私は母であり続ける、それはもう永続的に。子供が思春期になって「クソババア」と罵ってきても、この家を出て行って1年に1回しか会わなくなっても、それでも私は子供を愛する「母」であり続けよう。もし、孫という愛する対象が増えたら嬉しいな、と。