ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

ひょうたん

夏の昼日中に幻を見た。

今でもその時のことを思い出すと現実としか思えない。あのように瑞々しい幻などあろうはずがない。それでもやはりあれは幻だったのだ。

 

10年近く前のこと、私はまだ赤子の息子と2人で田舎に帰省していた。10日間くらいの滞在で、最終日には夫が迎えに来る予定だった。

 

田舎はかつての新興住宅地で、バブル前に私の父が購入した家があり、バブル期に続々と新しい家々が建った。交通の便にしろ物流にしろ不便な田舎だが、そのような宅地でさえ買い手があったのは本当にバブル期ゆえのことだろう。そして買い手たちは浮かれてとんでもなく不便なところに居を構えてしまって後々後悔しなかったのだろうか。おそらく今でも後悔し続けていると憶測する。それほど不便なところなのだ。

 

田舎滞在中は無論暇を持て余した。歩き始めた息子と一緒に近所を散歩することが日課になった。神社まで行ってみようとか古墳まで歩いてみようとか。田舎の道は目測がつけ難く、大体は思っているよりも遠い。自然の山やら野草やら以外何もない道を歩き続けるのは街に慣れてしまった身には少々苦痛に感じることもある。それに息子は歩くとは言っても頻繁に抱っこをせがむので大方は息子を抱いて歩いた。

 

神社まで歩いた帰り、まだ余力があったので両親の家がある新興住宅地を巡回してみることにした。普段は比較的広い道路から両親の家に繋がる道のみを往来していたが、その奥の枝道を探検してみたのだ。そして、ある一戸の家の庭にひょうたんを見た。フェンスに蔓を広々と這わせて鈴なりにひょうたんがなっていた。夥しい数のひょうたんは緑色でツヤツヤしつつ産毛のようなものも見えた。大きいものも小さいものもあった。初めてひょうたんがなっているところを見た。見事なひょうたんだ、と感嘆した。その後どういう経路で両親の家に戻ったかは記憶していないが、件のひょうたんの家の表札には妻は久美子と記されていた。

 

翌日もひょうたんを見に行こうと思った。その時には母も誘った。ひょうたんが凄いよと。母を連れて久美子の家に向かうも、ひょうたんは無かった。ひとつも無かった。蔓さえ無かった。どういうわけか皆目分からない。ひょうたんは昨日そこに青々と実っていたのに今日はひょうたんの欠片も無い。その翌日も久美子の家に行ってみたがやはりひょうたんは無かった。前日と同じくフェンスが存在するだけだった。

 

幻を見たのか、と思うもののあのひょうたんが虚実だとは到底思えない。さりとて普段は交流が無い久美子にひょうたんのことをいきなり尋ねられるほどの勇気も確信も持てないでいた。

 

夫が迎えに来た。息子は祖母と涙の別れをし、関東へ戻った。私はひょうたんに心を奪われたままだ。夫に話すも言葉にすると夢の話をしているようになってしまうので歯痒さだけが残った。ひょうたんのことを考え続けた。

 

翌夏、当時関東で賃貸していた家屋の庭にひょうたんを植えた。インターネットと図書館で調べ上げたまま、ひょうたんを栽培した。

ひょうたんの花は雄花も雌花も夜しか開花しない上、一晩で尽きる。結実に至るまで多くの雄花と雌花を見た。多くの雌花のうちのタイミングが良かったものだけが結実する。結実したのちも完熟に至らずに終わるものもある。

 

ひょうたんの実は完熟させなければならない。完熟していなければ加工途中で腐敗してしまう。加工は、まず完熟した実のてっぺんに穴を穿ち、水に数週間浸けて表皮と中身が腐るのを待つ。どろどろの水の中で腐ったひょうたんは皮がベロリと剥ける。中身は穴から根気よく出す。この作業は悪臭との戦いだ。図書館の本には「風通しの良い日に行うこと」といった注意書きさえされていた。

 

表皮と中身を出したひょうたんを乾燥させる。洗濯ネットに入れてしばらく天日干し。処理したばかりのひょうたんは悪臭そのものだが、乾燥したひょうたんは木のような良い匂いがする。

 

2年目もひょうたんを栽培したが、失敗した。完熟した実をひとつも得られなかった。賃貸していた家の庭はとても狭かったので前年のひょうたんが栄養を摂りつくしてしまったのかもしれない。翌年からは両親にひょうたん栽培を依頼した。両親は家庭菜園の一角にひょうたんを植えることを楽しんでくれていた様子だが、3年目に「もう十分ひょうたんは作った」と言って終わってしまった。3年分のひょうたんは段ボール箱1杯になったので私としてもこれ以上両親に食べられもしないひょうたんを栽培することを強いるわけにもいかず、今までありがとうと礼を言ってひょうたん栽培は終わった。

 

幻を見てから私の心には常にひょうたんがあった。多分1年目は息子のことを考えるのと同じくらいひょうたんを夢想することがあったかもしれない。

 

今でも少しずつ在庫のひょうたんで工作をしている。在庫が尽きた時のことを考えないでもないが、その時にはまたひょうたんを栽培するとか栽培農家から買い付けるとか選択肢から選ぶことになると思う。

 

ひょうたんの工作ではランプを作ることがよく知られているけれど、私はランプも作るがそれ以外の四季折々の飾りを作ったりもする。

f:id:Qka:20141029054024j:plain

これはハロウィン飾りのうちのひとつ。一年目のひょうたんの作品。羊毛でオバケとjack-o-lanternを作り、ひょうたんにねじ込んだ。このひょうたんも初めは白かったがもう飴色に近づいている。

 

今でも田舎に帰るたびに久美子の家のフェンスを見る。あの夏のひょうたんは未だに二度目の姿を現していない。