ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

他者のために死を賭す


「息子の勇気、褒めたい」 御嶽山のジャンパー、遺族に:朝日新聞デジタル

この記事を読んで、高校1年生の時の担任教師(N先生)の言葉を思い出した。 N先生は寺の住職であり副業として高校教師をしていた(どちらが副業かは実際知らないが)。

 

N先生は日本史が専門だったが、時折仏教の教えを話すことがあった。教師としてそのような宗教活動的なことをするのはタブーかもしれないが、「仏教ではこういうことです」というふうな語調で、勧誘や洗脳めいたものでは無かったのでセーフだと思う(多分)。

 

その中に「他人を助けるために濁流に飛び込む人がありますが、その人は飛び込む瞬間は生きていますが、その行動に移した時にはすでに仏になっています」というものがあった。これが仏教の考え方なのかN先生の考え方なのかは知らないけれど、この「仏」とは「死者」の意ではなく「悟りを開いた者」の意だ。とても尊い精神になっているということだろう。

 

この御嶽山のジャンパーの男性は死を賭して少女を助けたわけではないが、自身が切迫した状況にあるにも関わらず他者のために行動したのでN先生の言うところの「仏の境地」にあったのかもしれない。とても高尚なことだと思う。

 

しかしながら自分の子供に先立たれることは親として最も辛いことだ。どんな人間としてでも生きていて欲しい。親ならそう思うだろう。若い人の死はいつでも心が痛む。

 

N先生の言っていたことがもし本当ならこの男性は浄土に行ったのだろうか。

私の祖父が亡くなって火葬する際、祖母が泣きながら「いいところへ行きなはれや」と祖父の棺に話しかけていたことを思い出した。