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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

友達みたいな親子関係

子供たち

気に入って読んでいる小説のようなブログの一文に「友達のような親子関係」という語句が含まれていたのでそのことについて書いてみるか、と。いや、その小説のようなブログ記事の本髄はそれについてではなかったのだけれども。

 

我が家の親子関係はどうなのだろう。私も夫も「親を尊敬しろ」とか「親の言うことを黙ってきけ」タイプではない。私は夫に対して「ありがたいなあ」と日々思っているのでそれが私の言葉の端々に出ているかもしれないが、子供に「だから敬え」みたいなことはない。

 

子供たちと遊ぶのは楽しいのでたくさん遊ぶし、冗談も言い合う。私が悪い時には本気で詫びるし、親切にされれば本気で感謝する(本気で、と書いたのは「ごめんねぇ」程度の詫びや「ありがとっ」程度の感謝で済ませないことを表したかったのだ)。一対一の人間として接している。

とは言うものの、私は子供たちの「親」であるから教育的指導はしている。そしてまったく「友達みたいな親子関係」ではない。

ikkyu

長子が年長から武道を習っているのでそのせいで「友達~」には成り得ないのだ。長子が5才の時「僕は強くなりたい。強くなれる習い事がしたい」と言ったので、私は短絡的に「それなら少林寺拳法じゃない?」と少林寺拳法道場を探してみたのだけれど、夜8時以降のものしか見つからず少林寺拳法は諦めた。私が「それなら少林寺」と思ったのは、私が小学生の時のクラスメイトがしていた武道が少林寺拳法でそのクラスメイト以外に武道をしていた知人がいなかったからだ。少林寺を諦め他の道場を探して長子を見学に連れて行ったら「ここにする」と言うのでそこに通わせ始めた次第。

その道場では「親に感謝」させる指導がなされていて、長子はそれを身につけた。次子と末子が「お母さん、これ見てみ」とか言おうものなら長子が「違うで、『見てな』やろ」などと注意する。私としては「見ろ」と言われれば「ん?なんだと」となるけれど「見てみ」は許容範囲だ。関西弁なのでこの辺りは分かりにくいかもしれません、すみません…。まあとにかく長子は「親」と「子」に線引きをクッキリとしている様子。次子と末子にもそれは自ずと反映されていく。

 

私と夫がどのような親子関係を作りたいかをしっかり考えにまとめる前に長子が親子関係を決めたような感じなのかもしれない。まあ、私も子供に名前で「〇〇ちゃん」と呼ばれたいとかはあり得ないし、「友達みたいな~」と自称している親子は苦手な種類なのでこれで良かったと思っている。

 

ここまで書いてみて、まるでうちの長子は「正しい少年」(ちょっと薄気味悪い感じの)のようにイメージされるかもしれないけれどまるで違うことも書いておこう。

 

一緒にゲームをしていた時、「やりやがったな!あ…!違う、やりやがりまし……やりましたね!」とか、「やめろ!…じゃなくて…おやめください!」みたいな。キョウダイや友達に使う言葉と親に使う言葉がゲームに夢中の間は混ざりがち。そして言い直しはおかしなことになってしまいがち。