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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

ルーズな母

思い出

私の母はとてもルーズな母親だった。すべてに於いてそうだったけれど、特に周囲が迷惑するのは時間にルーズなところだ。

 

18歳で一人暮らしを始めてから母と外で待ち合わせをすることが数度あったが、毎回1時間以上遅刻された。当時私は携帯電話を持っており母は持っていなかったが、遅れることを知らせようと思えば公衆電話からでも電話出来たし、そうしてくれれば待つ方はずっと楽なのに一本の電話も無く1時間以上待たされた。そして遅刻した理由を聞いてもそれらしいまともな理由が無く。

Paris Clocks

私は4才から保育所に通っていた。当時母は専業主婦だったけれど、凄く田舎なので幼稚園が存在せず、有職母も無職母も保育所に子供を預けていた。毎日私は一番遅く登園し、降園も一番遅かった。子供たちが私以外全員降園しガランとした保育所を先生(保育士)たちが片づけて清掃していた。幼児でも肩身が狭かった。先生は掃除の合間にアヤトリや折り紙を付き合ってくれた。母が迎えに来るのを待ち続けていた。冬は外が暗くなってから母は迎えに来た。

 

母は自宅にそれだけ長くいても家事をこなしていなかった。夕飯は9時を過ぎてから冷めた焼き魚と白米だけの日もあったし、洗濯物は山積み、室内は不潔だった。今でも不思議だ。母は一体何をしていたのか…。

 

小学1年生になってから歯医者に行かなければならなくなった(ちなみに私は母に歯磨きをしてもらったことが無い。母にそのことを大きくなってから尋ねたら「子供の歯磨きをしてあげるなんて知らなかったし、子供たち3人とも歯磨きなんてしたことが無い」と言った。私は学校で教わるまで歯の裏側を磨くということを知らなかった)。歯医者が下校途中にあるので母は「直接歯医者に行って。お母さんは先に行って順番取っておくから」と言った。当然ながら母は歯医者にいなかった。かなり長く待った。私の後に来た人が診察室に入っていくのを何人も眺めた。私は泣き出した。受付の人が慰めてくれたけれど悲しくて悲しくて心細くて。もう家に帰ってしまった方がいいのかこのまま待ち続けた方がいいのかどうにも判断出来ずに泣き続けた。母がやって来た時には泣き疲れていたが、母は「お母さん、だいぶ遅かったか?」とだけ聞いてきた。

 

前にも書いたけれど、母のようでない「お母さん」に憧れがずっとあった。自分が嫌だったことを子供にしたくないと思い続けてきた。

幼稚園にいる子供を時間に遅れずに迎えに行くということも大切なひとつだった。遅れずに毎日迎えに行ったし、何らかの理由で遅れそうなときには朝から子供にきちんと伝えていた。そうしていたら子供から「友達とお部屋(教室)で遊びたいからお母さんはちょっと遅れて迎えに来てね」と言われるようになった。そう言われてとても嬉しかった。楽になったからではない。子供が「お母さんは迎えに来る」ということに安心している証拠だと思ったからだ。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど。

 

色々な諸要因があり、私は母を求めすぎて淋しくて辛かった。

自分の経験則を頼りに「多分こうした方がいいと思う」の連続なので何が正解なのか分からないけれど、子供が満足して「普通の生活」を送られていることに私は満足している。

子供に「期待とプレッシャー」を適度にかければ「優秀な子供」に育ちそうだけれど、そんな高度な技が出来る気がしないので「普通」がいいよと思ってしまう。