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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

母が仕事に行くのが嫌だった

私の母は私が小学2年生の時から働き始めた。

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母は「家庭の用事」が嫌いで「外に出る」タイプの人だった。しかし父は「妻に働かせるのは自分に甲斐性が無いということになってみっともない」と考える人だったので、母は当初父に内緒で仕事を始めた。時間の短い洋裁パートだった。ところがその内緒はほどなくしてばれた。何故ばれたのかは知らないけれど、父の荒れ様は凄まじかった。

 

激怒した父だったけれど、母は頑固者なので仕事を続けた。私は母のパートが終わるまで祖母(母の母)宅に預けられる日々を送った。祖母は精神的に弱い人だったが私に裁縫や編み物を教えてくれたし、戦時中の貴重な話も聞かせてくれたし、祖母が人生で学んだ艱難辛苦を相手が小学生にも関わらずオブラートに包むでなく聞かせてくれた。それは今の私の価値観の根底の一部を成すほどに重いものだった。

 

母は仕事を次第に拘束時間の長いものに変えていった。月日が経ち、私は自宅の鍵を渡され祖母宅に預けられずに自宅に帰宅するようになった。寂しかった。姉2人は学年が上で授業のコマも多く私は独りで自宅にいる時間が長かった。土曜は独りで昼食を摂った。ソロバンとピアノを習っていたので自分で時間を見て通った。出掛ける時も独り、帰宅しても独り。

 

寂しい寂しい、お母さんウチに居て…と願い続ける日々。母にそう訴えても「辞めるよ、もうちょっとで辞めるから待っていて」と言われる。母が仕事を辞める日を待ち続けたけれどその日が来たのは私が結婚するあたりだった。私としては母の在宅なぞもうどうでもよい時だ。私が母を求めていたのは私が小学生の時だったのだ。約束を反故にされることはしょっちゅうだったけれど、これだけは守って欲しかった。母に「おかえり」と迎えられたかった。

 

子供の性格もそれぞれなので、仕事をしている母を誇らしく思う子供もいるのは知っている。が、私は違った。私は母にいてほしかった。

 

「母が専業主婦=幸せな子供」ではないのは分かっている。でも私は…。

 

母が仕事を始める前に母と一緒に雪だるまを作った。大きな雪だるまに風呂場の洗面器を帽子として被せた。上手に出来た、これぞ雪だるまという雪だるまが出来た。その日の夜、風呂に入る段になって洗面器が無い!と家族が慌てた。そして私と母は雪だるまに被せたことを思い出して笑い合った。楽しかった…。この雪の日の思い出を私は何度反芻しただろうか、数え切れない。

 

今でも泣きそうになってしまうし、小学生の私を抱きしめるために時空を越えたくなる。

 

私は子供を「おかえり」と迎える母でありたい。もし仕事をするのなら子供たちが「いいよ」と我慢なく了承するようになってからにしたい。