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ひっそりと

いろいろ思うところをつらつらとつれづれに書いてみようかと。Qka_hsrt☆yahoo.co.jp

偏差値という障害

私は自分で言うのもアレなのだけれど、幼少のころから成績が良かった。

勉強は簡単だったので受験勉強すら大してしなかった。寝てばかりいた。

自分は「出来る種類の人」だと認識していて、そうでない種類の人を下に見るような性格だった。自分はその他の人のように努力しなくてもいい、と。母からも「勉強していないのに賢い」と褒められ続けた。

 

結果。努力をしない人間になってしまった。

本当は物理学に進みたかったのだけれど、数学の非現実感に嫌気がさして努力しなかったため、物理への道が閉ざされた。国語と英語が得意だったのでそちらでいいか、好きだし、と努力を避けた妥協で進路を決めた。

 

英語を専攻した。ちょっと難しい大学に入った。そのちょっと難しい大学での統一試験でも上位に入った。ほらね、と思っていた。

 

留学した。英語がスラスラ話せるようになった。が、深い内容が無い。話す内容が薄っぺらい。つまり私自身の中身がってこと。

 

読書好きなので知識はある。が、自分自身で探究した分野が無いってのは人間の深みにおいて致命的。

 

留学して英語が話せるようになってからそれに気づいて焦った。多分人生で初めて自分自身に焦ったのがこの時。

それから留学していた大学で他学部の講義を聴講したりして、自分を作るための努力。甚だ遅い。もっと能動的な「自分のやりたいことに努力する」というものを身につけていなければならなかった。

 

なまじ成績が良かったが故の傲慢が私の成長を阻害したのだと思う。

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私の子供たちは私が英語を話していると「すごーい、かっこいいー」と言う。そのたびに、違うよ必要なのは英語じゃなくて中身だよと説く。

 

子供たちに良い成績を求めない。やりたいことに向かっていける気持ちさえもっていてくれれば、と願う。

 

結婚の記事で書いた、父からの「大学を出してやって、留学までさせてやったのに23才で結婚など…」という発言が私の中で引っかかっているのも、自分が努力しきれなかった自責も相まってのこと。

父のようになりたくはないけれど、子供たちに私のようになって欲しくも無い。